【背景・目的】

 統合失調症や双極性障害(躁うつ病)は人生の早期に発症し、生涯にわたる治療が必要な場合もある重篤な疾患です。また、患者様やご家族の苦しみと共に、莫大な社会経済的損失をもたらします。多くの場合、原因や病態が不明のため、根治薬や客観的な診断法は確立していません。当講座では、死後脳試料や動物モデルを用い、エピジェネティクスや体細胞変異など、「ゲノムの動的な側面」に着目した研究を通して、精神疾患の原因と病態を明らかにしていきます。基礎研究に立脚しつつ、早期診断法や新規治療戦略の確立など、社会に還元できるような研究を推進していきます。​また、超高齢社会の到来と共に健康長寿寿命の延伸が現在日本の大きな課題となっています。当講座は、新設された健康長寿代謝制御研究センターの一員として、加齢に伴う脳機能の変化を脳ゲノム研究や大規模コホート研究から明らかにしていきます。

 

【研究概要】

 精神疾患の原因は、遺伝要因と環境要因の複雑な相互作用にあると考えられています。遺伝要因についての理解は近年急速に進みつつあり、環境要因については疫学研究から、妊娠期や周産期要因、養育や栄養条件、薬物摂取やストレスフルライフイベントなどが、発症のリスクを上昇させるとして報告されています。しかし、遺伝要因と環境要因がどのように相互作用し発症に至るのかはほとんど明らかではありません。
​ 我々は、リスクとなる環境要因が脳神経系のゲノムDNAに作用し、遺伝情報の働き方に影響を与えることで、精神疾患の原因や病態につながっていると考えています。分子的なメカニズムとして、DNAの化学修飾状態が変化する「エピジェネティクス」、また、ゲノムDNAの配列が一部の細胞で変化する「体細胞変異」に着目しています。

1) エピジェネティクス
 死後脳試料や細胞・動物モデルを用いたDNAメチル化状態の解析や、そのための新規実験技術・バイオインフォマティクス解析技術の開発をおこなっています。また、抗うつ薬や抗精神病薬の効果の検討を行っています。​現在までに、脳試料からの神経細胞核分画法を確立し(Genome Res 2011)、双極性障害患者神経細胞におけるDNAメチル化状態を明らかにしました(Mol Psychiatry 2021)。

2) 体細胞変異解析
 死後脳試料や動物モデルを用い、体細胞変異の解析や、そのための新規実験技術・バイオインフォマティクス解析技術の開発をおこなっています。体細胞変異として特に一塩基変異、トランスポゾン動態、異所性組み換えによる変異などを解析しています。現在までに、統合失調症患者神経細胞で、トランスポゾンLINE-1のゲノムコピー数が上昇していることを明らかにしました(Neuron 2014)。現在、新規トランスポゾンの挿入を単一神経細胞レベルで明らかにしていくとともに、妊娠期環境要因が子の脳ゲノムDNAの体細胞変異を惹起する分子メカニズムを動物モデルを用いて検討しています。また、人工的にトランスポゾン活性を操作した時の脳神経の発達への影響の解析や、大規模ゲノムデータからの体細胞変異検出アルゴリズムの作製に取り組んでいます。

3) 末梢試料を利用した解析・コホート研究
 血液や唾液試料などを用い、精神疾患の生物学的診断のためのバイオマーカーの確立を目指します。既に同定済みのバイオマーカ―候補について実用化に向けての研究開発を進めていくと共に、脳神経系ゲノムの解析から得られた知見を反映させた解析を進めていきます。現在までに、セロトニントランスポーターやBDNF遺伝子など主要な候補遺伝子のDNAメチル化状態や、エピゲノム関連代謝産物の異常を同定しています。また、性別違和や加齢研究のためへの応用を検討しています。